『ZERO』の作者・麻生幾の別の作品も読んでみよう、という気になりました。
『ZERO』はつまらなかったわけではなくて、自分の理解力が及ばないがゆえに、
充分に楽しめなかった。
その理由で、麻生幾という作家を評価したらダメだよな、と思ったのです。
ま、「読書の秋」ですし。
amazonなどで調べればいいモノを、何も考えずに本屋へ行ってうろうろ。
その本屋に在庫があった麻生幾作品は、『ZERO』とコレ↓だけでした。
ムム、オウムかぁ。
あんま、そそらないけど…。
他にないし。
と、いうことで、早速読み始めてみました。
これは、『ZERO』同様警察組織が登場しますが、『ZERO』と異なりノンフィクションでした。
「事実は小説より奇なり」って言葉があるけれど…。
場面転換のテンポもよく、ストーリーに引き込まれます。
次へ次へとページをめくっていきたくなりました。
・・・でも。
この先、どういう展開になるのか自分は知っている。
コレは絵空事ではない、現実に起きた事件なんだよな、と思うと…。
浦沢直樹の「20世紀少年」という漫画があるけれど、
それに出てくる"ともだち"がやっていることと、オウムがやろうとしたことって、似ているなぁと思いました。
なんか、どこか子供っぽい。
『極秘捜査』は、警察や自衛隊の視点から書かれているから、
計画している作戦がとても緻密に感じられるのに対して、
オウムの計画は穴だらけのように感じられました。
それから。
これは、サリン事件当時からの疑問なのですが、実働部隊というか、幹部の人たちの拠り所って何だったのでしょう。
もっと末端の信者の人たちの気持ちはなんとなくイメージできるのです。
でも、実際にサリンを作ったり、「ハルマゲドン」を起こそうと計画している時の心境ってなんなんだろう…。
教祖の予言を現実にするために、計画を立てるって…。
自分たちが実行しなければ実現しない予言って、予言っていうの?
なぜ、予言を「起こす」ことをする必要があったのだろう。
その方がより教祖の言葉にリアリティが付加されるから?
今の世の中はあまりに酷いから、一度壊してやりなおさなくては、ってことなんだろうか…。
じゃあ、なぜ逃げたり隠れたりする必要があったのだろう。
・・・結局は、教祖も幹部も権力が欲しかったのだろうか。
それじゃあ、教祖の言葉を信じ、入信し、実践してきた信者の人たちがあまりにもかわいそう。
というより、それは自分を信じてくれた人への裏切り行為ではないの?
いや、信じてくれた人がいるからハルマゲドンは必要だったのか?
信じてくれる気持ちに応えるための手段だったのか?
う~ん、私にはわかりません。
はっ。
あんま興味ない、とか思っていたはずなのに、
どっぷりつかっている!!
作品中には、警察のミスや手違いなども書かれています。
確か、当時はマスコミに批判されていたように記憶していますが、
簡単に批判なんてできないよなぁ、という気持ちになりました。
前例のない事件に対して、もしかしたら生命の危険もあるかもしれないという不安感を押さえ込んで、
「それが任務だから」という理由で立ち向かっていかなければいけない人々。
そういう人たちに対して、安全な場所から批判することは簡単だけど、
じゃあ、代わりにやれ、と言われたらできるだろうか…。
できないなぁ。
最近のコメント