かかりたい病院は、ちょっと元気になれる病院。
かかりたくない病院は、不安な気持ちが増幅される病院。
私は、病院が苦手です。
注射も怖くなかったし、歯医者も嫌いではない子供でした。
記憶をたどると、どうも大人になってから病院が苦手になったようです。
高校の時、保険体育か何かの授業でお医者さんは「問診・聴診・触診」で診察すると聞いた気がします(あと2つくらいあった気がするのですが忘れました)。要は、人間の五感をフルに使って診察するんだ、というようなことでした。それまで、聴診とか触診は実感していたけれど、問診の重要さに気づいていなかった私は、それ以降、なるべく問診票には具体的に症状を書くようになりました。
最初にお医者さんに失望したのは、会社の健康診断の時でした。
その時、私の仕事はとても忙しく、会社で朝を迎え家に帰り着替えてまた出社、という日々が続いていて、不調とまではいかないけれど「コレって何だろう?」と常に気がかりな症状が出ていました。
せっかくのチャンスだったので、健康診断の問診票にそのことを書いたのです。「何か気になっていることがあればお書きください」という欄に。
でも、いろいろな検査の後の診察では、担当医師はその部分を読むことなく、聴診器だけ当てて終了。
会社に戻って「もう2度と健康診断へは行きません!時間の無駄!!」と叫んだのでした。
病院苦手を決定付けたのは、一昨年のこと。
ある時、突然歯の根元が痛みだしました。でも、歯が痛いというよりは歯茎、もしくはその奥が痛かったのです。
とりあえず、近所の歯医者さんへ行きました。レントゲンを撮っても特に異常は見られなかったけど、ちょうど痛みを感じている場所に虫歯の治療したあとがあり、歯にかぶせているものを一旦はずしてみましょう、と言われました。その歯医者でもらった診断書には「虫歯?」と書かれていました。
痛みはさらにひどくなり、耳鳴りもし始めるし、冷たい飲み物が飲めないし、とても不安だったので総合病院の口腔外科へ行くことにしました。
3時間くらい待ちました。
紹介状ナシの初診だから、待つのは仕方ないと思っていました。
ここでもレントゲンを撮り、診察室で医師にどういうカンジの痛さなのか、どういう時に痛くなるのか、歯医者に行って「虫歯?」と言われたことなど、出来る限り状況を説明しました。
まだ若い先生は、ニヤニヤしながら「うちはね、虫歯治療してないんだよ。歯医者に行きなさい」と言いました。
不覚にも私は泣いていました。
原因は、歯ではないかもしれない、でも総合病院へ行けば原因と考えられる別の科へまわしてくれるかもしれない、そういう期待があったから行ったのに。だから3時間も我慢して待ったのに。
母は娘の原因不明の痛みをずっと心配してくれていました。診察結果を気にして電話したら娘は号泣している。話を聞いて、私以上に激怒していました。そして、今度は子供に人気の耳鼻科へ行け、と言うのです。
既に私は「もう病院なんて行きたくない」と思っていました。どんなに必死に症状を伝えても誰も聞いてくれない。それはきっと、私の説明の仕方が悪いんだ。私が悪いんだったらどの病院へ行っても結果は同じだ、そう思っていました。
それでも、母にいつまでも心配かけるわけにはいかないし、しぶしぶ耳鼻科へ行ったのです。昔ながらの診療所、というカンジの病院で先生はおじいちゃんだし、医療器具も最新のものとは思えないものでした。
だけどおじいちゃん先生は、きちんと私の話を聞いてくれました。「うん、うん、そう。それは辛いねえ」と相づちを打ちながら、私の症状を聞き終えて「もしかして耳の下のリンパ節が炎症を起こしているかもね」と言って触診が始まりました。「ああ、やっぱり。右と左とで違うねえ」。
だんだん、安心している自分がいました。
痛みはとれたわけではないけれど、少なくとも原因と思われる場所が見つかったという安心と、ちゃんと話を聞いてくれる先生に出会えた安心とでようやくほっとできました。
病院のドアをくぐるとき、自分が患者でもつきそいでもお見舞いでも、必ず不安を抱いていると思います。
治る、治らない、ということも重要だけど、再び病院のドアをくぐって出て行く時に、最初に抱いていた不安な気持ちが小さくなっているかどうか、が私にとっては重要です。
メンタルケアとか大それたことじゃなくて、例えばそれは会計窓口の人の「お大事に」という笑顔だったり、先生の「どうしました?」という時の表情だったり、ほんのちょっとしたことで、自分の勝手な想像で悪い方向にしか向かない思考を引き止めることができると思うのです。
だから私にとって
かかりたい病院は、ちょっと元気になれる病院。
かかりたくない病院は、不安な気持ちが増幅される病院。
です。
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