今日の放送で、大山さんのドラえもんは終了なんですね。
小学校の道徳(たぶん)の教科書に、大山のぶよさんとドラえもんについてを題材にした物語がのっていました。
だみ声にとてもコンプレックスを感じていた大山さんが、ドラえもんという役に出会ったりしたことで、声を自分の最大のチャームポイントであり、武器であると思えるようになった、そんな話だったと思います。
先週でTV版は最後だというので、久しぶりに観ました。
1本目は「ハリーのしっぽ」でしたね。
今観てもいいお話で、
--声優を交代するんじゃなくて今までの分を全部再放送すればもう25年はドラえもん放送できるじゃん
という気持ちに改めてなりました。
もう1本は、チェーンメールなどで出回った「ドラえもんの最終回」を意識してるのかな、と思わせるストーリーでした。
う〜ん、なんかショックだったなぁ。
私のドラえもんのイメージが崩れた、というか…。
最近の漫画になっちゃったんだなぁ、という感想です。具体的にうまく説明できないんだけど、例えばジャイアンが何かに踏みつぶされてペラペラになちゃうところは、トムとジェリーっぽかったし、「ボタンを押させようぜ」なんてストレートな台詞とか。表情は豊かなんだけど、増えた分の顔の動きは藤子不二雄っぽくないと感じたし。
アキバ系っぽいノリが微妙に含まれているように感じた、と言いましょうか…。よくあるじゃないですか、9等身くらいありそうなカッコイイor美しい登場人物なのに、突然2等身とかで変顔になってしまう、みたいな漫画。少女漫画とかでもよく見かけるけど。
アラレちゃんのセンベイさんは妄想の中でみどりさんに接する時は二枚目になってるけど、サザエさんのカツオくんは自分がオトナになった時のことを想像している時もイガグリ頭………というように、そのアニメの中での暗黙のルールみたいなものが存在すると思うんです。そして、それはそのアニメの中でしか有効ではないルールだから、同じ手法を別のアニメで使ったら、すごく違和感を感じてしまうのです。
そういうノリがイヤ、というのではなくて「それはドラえもんのノリではない」と感じてしまったのでした。
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