自分の無知ゆえの疑問。
何故、(メディアを通じて)「公務員は私たちの税金で食っているんだから・・・」という批判が展開されるのか?
前々から思っていたことなのだけれど、久しぶりに思い出したのは
先週の「太田総理」を観ていたとき。
この日は、ジャガー横田の「お受験を廃止する」というマニフェストがテーマだった。
その中の、どんな言葉がきっかけだったのか、忘れかけているけれど…。
反対派側に座っていた、元公立校教師だった女性が浮かんでくるので、
彼女の
「私立の教師は、親が大金払っているから厳しい目が光っていて最後まで真剣。
公立の教師はそうじゃない」
というような発言にからんだところから、だったかもしれない。
税金は、みんなのものというのはわかっている(つもり)。
だから、みんなの益になるように使われなくてはならない。
その税金は、例えば労働力の対価として支払われた給料を使って払われる。
そうして集められた税金の一部は、公務員の労働力に対する給料になる。
その公務員の給料からも、税金は払われる(ハズだよね?)。
公務員にとって給料は、自分の労働力を売って得たものでしかないんじゃないか?と思う。
国民の財布から出てきた税金だから…といって、神仏に手を合わせるがごとく、
恭しく受け取らなくてはならないのだろうか?
私が得ている収入は、クライアントが仕事をくれたから得られるものだ。
そのクライアントが仕事を発注できるのは、その会社で売っている製品を買ってくれるお客さんがいるから。
要は、私の財布に入ってくるお金は、誰かの財布から出てきたお金。
一緒、ではないのだろうか?
職務をきちんとこなし、収入を得る、ということに変わりはないのでは?と思ってしまう。
リスク、なのだろうか…。
企業には倒産のリスクがある。公共の組織は普通に考えればなくならない。
例えば、警察官が不祥事を起こしても、その警察官が所属していた組織がなくなることはない。
でも、企業は一人の社員が起こした不祥事が致命傷になりうることはある。
そういうことなのか?
否、継続性の問題なのかもしれない。
私の財布に入ってくるお金のもととなる財布との縁は、その財布の持ち主が
製品を受け取り代金を支払った時点で切れる。
財布の持ち主がその製品をどう使おうと、その人の責任によるところとなるように、
持ち主は自分の支払った代金がどう使われようと関係なくなる(のかな?)。
一方で税金は・・・。
税金はみんなのものだから、支払った方はそのお金がちゃんとみんなの益になるように使われているのか、チェックする。製品と払い主の関係は、継続していく。
そこが違うのだろうか……。
書きながら見えてきたような気もするが、なんだかしっくりきていない。
同じ土俵に上げてはいけないものを上げているような気もしている。
土俵とリングが横並びにある会場で、力士と総合格闘家を同じ土俵に呼び込んでしまったような…。
わかっているような気もするが、やっぱりわかっていないんだろうなぁ。
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