前の会社の大先輩は、昨年の春に59歳で亡くなりました。
「俺は定年になったら家族を捨てて公園で生活して、日なたのベンチで酒片手に本読みながら、そのまま死にたい」
なんて、よく冗談を言っている人でした。
夕方、社長が帰ったらお酒を片手に仕事をする人で、たまに顔を真っ赤にしながら私の横に来て、いろいろな話をしてくれました。
読書が好きで、クラッシックが好きで、ロックも好き。かっこいいおじさまでした。
仕事に対してはもちろんプロ意識を持っていて、そして新しいことも勉強し続けていました。
DTPに必要なアプリケーションがバージョンアップして、前とやり方が変わったりすると、自分で解決策を見つけ出していました。もっと若いデザイナーさんとかが質問しに来たりして、あとでこっそり「ホントは俺が教えてもらう側なんだ。こういうのは若いヤツが先にできるようになるべきだ。そう思わない?」なんて笑いながらグズグズ言ったりするところは、とてもかわいらしかった。
その日は出張の帰りでした。
高速から見えるところに住んでいるその人のおうちのそばを通過する直前に、ふっと「どうしてるかな?」とその人のことを想いました。
その道は、何度も通っているのに、その日に限ってふっと思い出したのです。
前に、その人が入院しているという話を聞いていたので、帰ってきてすぐに元同僚に電話して、
「どう?退院した?」と聞いてみました。
「うん、退院したって。今日奥さんが会社に来て、わがままばっか言ってて困ってる、なんて話してたよ」という答え。
それから1週間もしないうちに、「亡くなった」という連絡をもらいました。
あまりに突然のことで驚いたし、出張帰りにふっと思い出したことが虫の知らせのようにも感じられました。
つい先日、たまたま以前その大先輩と一緒にやった仕事のサイトに辿り着きました。
月1連載のページでした。
その人がイラレでデザインを起こし、私がHTMLにしていく…。
連載スタート前のやりとりや、たくさんもらったアドバイス、何度も聞いた矢沢永吉の話が頭の中に蘇ってきました。
私の中の大先輩は、Macの前に座り、CDを聞きながらグラスにお酒をそそいでいます。
あのサイトに辿り着いたことで、もうここには居ないんだ、という現実を再認識させられたのに、それでとても泣きたい気持ちになっていたのに、一方で先輩は私の中で生き続けているのです。
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